レブ・ビーチの足跡
むかーしむかし。
リチャード・アール・ビーチは、鉄鋼の町として知られるペンシルバニア州ピッツバーグで育ちました。
でも、レブが将来、鉄工所に勤めるような人生を歩まないであろう事は、誰の目にも明らかでした。彼は、正式なレッスンは何ひとつ受けていなかったけれども、幼い頃からピアノに始まりギターまで、驚くべき音楽の才能があったのです。
レブの10代は、70年代のロックスターたちに影響されて、エアロスミス、サミー・ヘイガー、ロニー・モントローズなどをジャムする日々。
若き日のレブに最も影響を与えたのは、スティーブ・モーズ(現ディープ・パープル)と、そのバンドであるディキシー・ドレッグスでした。
ディキシー・ドレッグスの複雑さとスピードは、ブルースをベースにして演奏していたその時代のミュージシャン達への挑戦だった。ディキシー・ドレッグスはレブが敬愛するバンドというだけでなく、今や世界に知られるレブのプレイを引き出す触媒となったのです。
レブはバークレー大学に進んだのですが、たった2学期間で正式なレッスンというものが自分向きでないと気付きました。
その代わり、彼は4トラックレコーダーに自分の曲を録音し始めました。それはジャズとロックをミックスした音楽、フュージョン。彼のフュージョンのテープのうちの1本が年間ベストギタリスト・コンテストで入賞し、レブはギターを携えてニューヨークへ向かいました。
レブはたった一年間で、ラーメンをすすり、シケモクを吸う生活から音楽業界で最も人気のあるセッションギタリストへと成長しました。そう、エリック・クラプトンやボブ・ディラン、ロジャー・ダルトリー、チャカ・カーン、ハワード・ジョーンズ、ツイスティッド・シスターといった偉大なるミュージシャンと仕事をすることになったのです。
後のバンド仲間となるキップ・ウィンガーと出会ったのは、このニューヨークに住んでいた時代。レブとキップはウィンガーを結成し、歴史となっていくのです。
互いに最高の曲作りのパートナーを得た二人は、複雑でありながらコマーシャルな曲つくり、シングル6曲をトップ40入りさせ、それらがフューチャーされたアルバムはプラチナムまで獲得したのです。
レブは、文字通り何万人というファンや信奉者がいることに気が付きました。突然、彼はギター関連のメジャー雑誌の表紙を飾るようになったのです。『Guitar for the Practicing Musician』ではベスト・ニュー・ギタリストに選ばれ、『Guitar World Magazine』ではベスト・ニュー・タレントに選ばれて、コラムの執筆も依頼されました。女の子達が彼に群がるようにもなりました。
つまり、レブは成功したわけです。
世界に名だたるギタリストとなったレブは、Ibanezでギターのデザインをしてギター・クリニックのツアーもしました。教則ビデオの「Cutting Loose」もプロデュース、これは売れました!
ウィンガーでの3枚のアルバム発表後、レブはピッツバーグに戻りました。他のアーティストのレコーディングに参加しつつ、The Reb Beach Projectの名で自分のソロ活動も開始したのです。
The Reb Beach Projectでは、パット・トラヴァースやロビン・トロワーを彷彿とさせる、ヘヴィで早いリズムのブルース・スタイルを取った、レブのユニークな名人技を披露。
既にレコーディングは進行中で、レブはアンディ・ティモンズやスチュワート・ハム、アラン・ホールズワースやウィンガーのドラマーだったディキシー・ドレッグスのロッド・モーゲンステインにゲストとして参加してもらえないかと声をかけていました。
レブのソロ活動には残念だけれども、ファンにはライブでレブのプレイが見れるという幸運が巡ってきました。レブの長年の友人である、あのアリス・クーパーからライブでプレイしないかと誘われたのです。そして、3年間のツアーに参加し、成功を収めました。
最近では、レブはジョージ・リンチの後任としてドッケンに加入。リード・ギタリストでとしてだけでなく、曲作りにも参加。驚くことではないけれど、ここ最近のドッケンの中ではレブの参加した「ERASE THE SLATE」アルバムは最も成功したものになりました。ジャズ・フュージョンをやっていたことやセッションワークはレブのヘヴィ・メタル系の才能を鈍らせてはいなかったんですね。
ドッケンでワールドツアーにでたり、ソロ活動をしている間、レブはペンシルバニアのローカルで活動したり、ジョン・サーのサー・ギターとエンドースを結んだりと、ほとんど寝る時間も無いほど忙しくしていました。
2002年はウィンガーを再結成し、キップ、ロッド、ジョンとアメリカをツアーしました。残念ながら来日はなりませんでしたが……。
そして2002年夏、ついにレブはホワイトスネイクに加入。ホワイトスネイク結成25周年記念のツアーメンバーとしてですが、長年ホワイトスネイクのファンであり、デイヴィッド・カヴァーデルの熱烈ファンであるレブには、最高のポジションにきたと言えるでしょう。
2003年11月、ホワイトスネイク25周年記念のワールドツアーは、日本で幕を下ろしました。レブはピッツバーグへ帰り、次の活動を始めます。もちろん、ツアー中にもホワイトスネイクのためにたくさんのアイディアを曲にしていました。
レブはまず、シベリアン・トランス・オーケストラのクリスマス・ライヴに向けてのオーディションを受けました。しかし、これは実現せず、自身のバンドであるREB BEACH PROJECTを始動。ピッツバーグ周辺でのライブを行っています。
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